生徒たちに常々言っていることがあります。
「想いを込めて行動した分だけ感情は動く」
私は高校受験生を毎年見てきました。
数えきれないほどの合格と不合格を見てきました。
そのとき彼らの中にどのような感情が湧くのか。
当たり前ですが、それは合格した高校の偏差値によって決まるのではありません。
その生徒がどれだけの想いを込めて受験勉強に取り組み、どれだけの行動を積み重ねてきたか。
それによって、湧いてくる感情が変わると思っています。
高校受験を登山にたとえてみましょう。
受験というイベントをどういう登山にするかは人それぞれです。

登る山の高さも、ペースも、コースも人それぞれ。
厳しい登山にすることも、ハイキングにすることもできる。
それが高校受験です。
たしかに「登る大変さ」はあります。
地道で地味な努力が必要ですからね。
不安や、自分の弱さとの戦いもあります。
でも「全力で登らなかった後悔」のほうが、あとになってから辛いと思います。
せっかくの自分を成長させられる機会です。
何となく通り過ぎるにはもったいないと思いませんか。
我々は指導者として次のことを伝えることができます。
これらを伝え、ときには一緒に取り組み、見守ることはできます。
でも本人を引きずってまで登らせることは出来ません。
自分の足で登るしかないのです。
毎年、受験が近づいてくると、「受験に落ちたらどうしよう・・・」と相談に来る生徒がいます。
しかし、私は声を大にして言いたい。
「不合格でも大丈夫」
たとえ不合格でも、一生懸命に取り組んだ人は自分の足腰や心を鍛えることができる。
周りの人のありがたみを感じることができる。
登った人しか見られない景色を見ることができる。
自分に自信が生まれ、大きな達成感を得られる。
山頂のおにぎりの味が格別だということも分かります。
受験に限らず「ここぞ」の場面で全力を出した人と、のらりくらりかわした人では、そのあとの人生の歩き方もだいぶ違うと、私は思います。
きみは、高校受験というイベントをどういう登山にしますか?