「考える」を考える

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生徒たちが問題を解いているのを見ると、途中から「手の運動」になってしまっているように見えるときがある。

もちろん本人にそのつもりは無く、無意識のうちにそうなってしまっている。

しかし途中式を見ると明らかに単なる計算問題として処理しているし、自分の書いた答えがおかしいということに気づかないまま(チェックもしないまま)、次の問題へ進んでいる。

目次

「作業から思考が抜け落ちる」という現象はなぜ起きるのか。

私は小さい頃から数字に慣れ親しんでいた。

幼稚園生から小学校低学年までそろばんを習っていて、小学校中学年から中学3年生までは公文に通っていた。

数字の感覚(センス)を磨く機会が多かったと思う。


またパズル的なものが好きだった。

AならばB、BということはつまりC……のように、ある事柄から別のことを導く。

導きたい事柄が成り立つにはどういう事柄が成り立てば良いかを考える。

そういうことを遊びの中で訓練していたのだと思う。


また中学1、2年生あたりで推理小説や推理ドラマにはまっていた。

おそらくこういった経験から、算数・数学にはそれほど苦労せずに過ごしてこられたのだと推察している。

こういう頭の使い方を自然に訓練していたので、「説明がつかない」「話が繋がらない、矛盾する」という状況が気持ち悪く、すぐに解消したくなる。

一方、生徒たちはその気持ち悪い状況のまま、ズンズンと進めていく。

その様子を見るたびに「なぜそうなるのだろう?」と私は思う。 

私のイメージしている「考える」と、生徒たちのイメージしている「考える」の差異がどういうところにあるか、詳しく見てみたいと思う。

「考える」の定義

数学の問題で「答えを求める」ということを推理小説で「犯人を特定する」ということに例えて考えてみよう。

まず、一瞬で犯人が分かる場合は良いだろう。

問題は犯人が一瞬では分からないとき。

次の4つを考えよう。

① 大まかな「犯人像」を考えよう

推理小説だと、

「男性 or 女性」
「関係者 or 外部の人間」
「右利き or 左利き」

みたいなことを考える。

数学では、

「プラスの数 or マイナスの数?」
「整数 or 分数?」
「大きい数 or 小さい数?」

みたいなことを考えよう。

それだけで、自分の書いている計算にミスが生じたときに、その違和感に気づきやすくなる(想定していたイメージと異なる数値に対して敏感になる)。

② 犯人を特定するに何が言えれば良いか考えよう

推理小説だと

「その時間、犯行現場にいられたのは○○だけ」
「犯人しか知り得ない情報を○○が知っていた」
「現場の血痕を調べたところ鑑定の結果・・・」

みたいな話が出てくる。

数学だと、

「○○を求めるには△△が出れば良い」
「○○という予測が正しいことを示すには、△△が言えれば良い」

のようなことを考えてほしい。

③ 状況を一つずつ整理する

推理小説だと

「事件が起きた現場の状況」
「部屋にカギがかかっていたかどうか」
「犯行に使われた凶器は・・・」

みたいな話が出てくる。

数学では、

「問題文に書かれている状況(情報)」を一つずつ正確に読み取ることが大切だ。

このとき、一つでも情報を見落とすと、数学の問題では間違いに繋がってしまうので注意が必要だ。

④ 状況から導き出せることを考える

推理小説だと

「金品が盗まれていない→金目当ての犯行ではない」
「現場に争った跡が無い→犯人は知り合い?」

などのように、一つひとつの状況から新たな事柄を導いていく。

数学でも、

「グラフの式とx座標が分かっている→y座標が求められる」
「縦と横の長さが出ている→面積が求められる」

などのように新しい情報を導いていくのだ。


①~④を総合的に考えることが、数学における「考える」だとイメージしてほしい。

数学が苦手な人は、①~④のうちのどれか得意でどれが苦手か、改めて考えてみると良いだろう。

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