ちゃんと身につくまで

今日は久しぶりに将棋(←最近の私の趣味)のお話。

将棋の本を読んで、いろいろな戦術、セオリーを勉強している。1回読んだだけでは分かった気になっただけで終わってしまうので、同じ本を2回、3回と読んでいる。(生徒たちに復習は大事と言っていますからね!)また将棋に関する動画を観て勉強するのも3周目に突入した。1本の動画がだいたい平均して25分くらいで、これを200本くらい観ている。ざっと25分×200本×2周=10000分くらい費やしていることになる。2ヶ月間でこれだけの勉強時間。私がいかに将棋にはまっているかが分かるというものである。

さて、将棋のアプリで対戦していると、だいたい半分強は負けることになる。負けると非常に悔しいので、どの手が敗着だったのか(悪い手だったのか)をAIで検討する。その後、なぜその手が悪いのかを自分で考え、こういう場面ではこういう手が望ましい、こういう手は避けたほうがよい、ということを自分なりに言語化する。次に同じ場面があらわれたときには、正着(良い手)が指せるようにしたいので、悔しい気持ちを噛みしめながらあれこれ考える。

そうすると、たまに「あっ、これこの間の動画で観た場面と同じやつだ!」とか「この間、本で読んだ手筋が指せたのか!」と後から気づく。そう、対戦中ではなく、対戦した後になって振り返って初めて気づくことがある。このときの悔しさたるや・・・。自分が分かっていたはず、指せていたはずの正着を選べなかったことに対して、猛烈な自己嫌悪に陥る(←真面目な性格)。

「知っている」と「分かっている」と「できる」は異なる。さらに「できる」の中でも、「いつでもできる」「速く正確にできる」「応用が利く」と分かれる。本を読んだり動画を観たりして、少しずつ情報が頭に蓄積されていくわけだが、やはりそれだけでは「できる」ようにはならない。自分の将棋の勉強を通じて、今まで生徒たちに伝えてきたことを改めて確認する。

勝った、負けたにかかわらず、「なぜそういう結果になったのか」「次はどうすべきか」を毎回振り返り、分析し、言語化し、それを意識しながら練習し・・・ということを繰り返すことが必要不可欠なのだ。ただ闇雲に練習していても力はつかない。自分で考えながら取り組まなければならないのだ。もちろんこれは、勉強にも同じことが言えると思う。

こういう(面倒くさい、手間と時間のかかる)ことができるのは、私の場合「将棋が楽しい」「負けたくない」「強くなりたい」という気持ちが強いからだ。だから、生徒たちにも「勉強が楽しい」「負けたくない」「頭が良くなりたい」という気持ちを持ってもらいたいと思う。もちろん、言葉で言うほど簡単なことではない。それに、全員が揃って「勉強が好き」という気持ちになれるかと言われれば、なかなかそうはいかないと思う。しかし、塾としては生徒たちに勉強を楽しく思えるようになってもらいたいし、そのために様々な努力や工夫を積み重ねていきたい。そういう授業、そういう学習指導をしていきたい。また同時に、それほど好きではないことに対しても上記のような努力ができるようになってもらいたいと思う。

バナークリックで応援をお願いします!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

記事をシェアする
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次